多くの偉人を輩出した【松下村塾〈しょうかそんじゅく〉』を知っていますか?
そこでは、誰が教えていたのでしょうか?
何を、どのように学んでいたのでしょうか?
子供は幕末から明治維新を学ぶなかで、多くの活躍した人物が松下村塾〈しょうかそんじゅく〉で学んだことを知り、『松下村塾』『吉田松陰』について、より深く学ぶことにしました。
ここでは、『松下村塾』『吉田松陰』について、小学生のわが子との学びを備忘録かねてご紹介します。学校からの調べ学習や自主学習で困っている方や、ホームスクーリングされている方の参考になれば嬉しいです。
吉田松陰
1830〜1859 29歳で亡くなる。 江戸時代末期
長州藩
武士、教育者、思想家。
吉田松陰は1830年、長州藩士の子として生まれる。類稀なる頭脳を持ち、明倫館〈めいりんかん〉で学び、教壇に立ちます。松下村塾で数々の志士たちを育て上げ、自らも日本のためにその生涯を捧げました。
有名なエピソードは、
① ペリーの黒船に乗り込んだ
② 松下村塾で志士たちを育て上げた
③ 安政の大獄
の3つがあります。
松下村塾
吉田松陰といえば、『松下村塾〈しょうかそんじゅく〉』と言われるほど有名です。
吉田松陰がたくさんの偉人を育てた『松下村塾〈しょうかそんじゅく〉』とはどのようなものだったのでしょうか?
早速、見ていきましょう。
松下村塾とは
吉田松陰の地元である長州藩にある私塾です。
吉田松陰は明倫館で教壇に立った後、全国をまわり学び、24歳でペリー黒船に乗り込み投獄された後、26歳で地元長州藩の松下村塾で教え始めました。
塾生は子供から大人まで、農民から武士まで、誰もが学べる場所でした。
学費は無料で、貧しい人には食事も出していました。
松下村塾での学び
• 一人一人に合った学び。
•兵学、歴史、経済、芸術から家事などオールジャンル。
•教えるのではなく、共に学ぶ。塾生同士で意見し合う。
吉田松陰は弟子たちに次のような思想を教えました。
『何のために生まれてきたのか』
『日本のために何ができるのか』
『何のために学ぶのか』
安政の大獄により、29歳の若さで亡くなった吉田松陰。
弟子たちは吉田松陰が目指した『自由で平等な社会』を胸に、明治維新を成し遂げました。吉田松陰は約2年ほどで、たくさんの偉人を育てたのです。
松下村塾で学んだ主な有名人
では、吉田松陰のもとで育った主な偉人を見ていきましょう。
吉田松陰は弟子も多く、今回ご紹介する偉人もとても豪華です。
▶︎ 高杉晋作〈高杉晋作〉
長州藩の藩論を倒幕に統一した。
▶︎ 久坂玄瑞〈くさかげんずい〉
坂本龍馬や中岡慎太郎西郷隆盛など幕末の志士たちに多大な影響与えた。
▶︎ 伊藤博文〈いとうひろふみ〉
初代内閣総理大臣。4度総理大臣に就任。岩倉使節団。
▶︎ 山県有朋〈やまがたありとも〉
9大内閣総理大臣。2度総理大臣に就任。
▶︎ 木戸孝允〈きどたかよし〉
志士時代は桂小五郎と呼ばれていた。岩倉使節団。
吉田松陰からの教訓
『自分は何のために生きているのか?』を考えることが重要!
安政の大獄で投獄中、切々と綴った愛弟子たちへの最後の訓戒。
吉田松陰のYouTubeコンテンツがありました!わかりやすいですよ。
備忘録
吉田松陰を学ぶなかで、子供が興奮したのは、『小舟でペリーの黒船に乗り込んだエピソード』でした。
9歳で、大学で教えるほどの天才だったことにも驚いていました。
ペリー来航で、鎖国のまま今まで通りで行くのか、開国し新たな道を進むのか、当時の日本は大きく揺れました。AIや気候変動、コロナによって、今まで通りで行くのか、新たな道を進むのか…。今まさに、選択が迫られています。世界は、日本は、どんな選択をするのか?あなた自身はどんな選択をしますか?
今だからこそ、吉田松陰先生の『自分は何のために生きるのか』が響きます。
このタイミングで、子供たちに紹介した本があります。
選択するとき、迷ったときなどに何度も読んできた私の愛読書です。100ページもない本なので、小学生高学年くらいから読めると思います。
新しい世界に旅立つあなたに送りたい本。
私がこの本に助けられてきたように、子供たちも人生を豊かにしてくれる愛読書に出会えたらいいなと願っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
楽しい学びで
しなやかに生きる力を🍀