【ロービジョン】ぶつかり、疲れて、立ち止まった日。白杖で外出する私が感じた “半歩の思いやり”

点字ブロックに沿って歩いていたある日、前から二人連れの人が並んで近づいてきました。
ぶつからないよう、私はいつものように少し外にずれます。ところが、相手はそのまま真っ直ぐ歩いてくる。危ない、と思いもう一歩外へズレたその瞬間――柱に、ぶつかってしまいました。

その日は、こんなことが一日に二度。
避けたのに、ぶつかる。譲っているつもりなのに、避けられない。
心身ともに、どっと疲れが押し寄せました。

眩しさと向き合いながら、白杖歩行の練習中です

私は視野が狭く、強い眩しさを感じやすいため、外出時は年間を通じて遮光レンズ、帽子、そして日傘を使っています。
特に夏場の外出は、必要最低限に抑えています。

最近は、白杖を使っての歩行も練習中。
日傘を持ちつつの白杖歩行には難しさもあり、短時間の外出では日傘を諦めて白杖一本で歩くこともあります。

それでも、ぶつかる。
そして、また疲れて、心がくじけそうになる。

「止まればいい」…わかっていても、とっさに動いてしまう

今回、柱にぶつかったのは、私の視野が狭く、柱に気づけなかったことが一番の原因です。
でも、もうひとつの理由は、「避けようとした」ことでした。

ぶつからないようにとっさに避ける――これは、見えていた頃からの名残かもしれません。
「止まればいい」と頭では分かっていても、体は思わず動いてしまうんです。

そして思いました。
もしかして、今は“互いに半歩ずつ譲り合う社会”ではなくなってきているのかもしれない。

譲り合いの記憶、消えつつある文化へのさびしさ

私は思い出しました。
子育て中、小学校の廊下に貼られていた「右側通行」の紙と、真ん中のテープ。
譲り合いではなく、「ルール」が優先されているように感じて、なんだか違和感がありました。

江戸時代には、雨の日にすれ違うときにお互いの傘を少し傾ける「江戸がさ」という文化があったといいます。
傘と傘がぶつからないように――ではなく、「心がぶつからないように」。
そんな所作の中に、思いやりがあったのだと思うと、胸がぎゅっとなります。

自分にできる対策を考える

社会は変わっていく。人の多様性も広がっていく。
だからこそ、私自身ができることを選び取っていくしかない。そう思うようになりました。

  • 外出を控える(無理をしない)
  • 日傘をあきらめ、白杖に集中する
  • ぶつかりそうなときは、止まる(時間はかかっても安全を優先)
  • 白杖に加えて、視覚障がいを示すバッジも併用する

そして何より、自分の気持ちと体調の折り合いをつける。
「今日はちょっと無理」と思う日は、それでいい。

それでも、願うこと

私が本当に願っているのは、とてもシンプルなことです。
「半歩ずつ、譲り合える社会」。
見える人も、見えにくい人も。
私たちがすれ違うたび、少しだけでも「お互いさま」と思えるような、そんな日々。

それができない現実に、傷ついているのは、私ひとりじゃないと思いたい。
この記事が、そんな誰かの気づきや共感につながれば、心からうれしく思います。

🌿今後、私の外出を支える小さな工夫たちをお伝えしていきます。

視覚障害を伝えるための「サポートマークバッジ」や、歩行をナビゲートしてくれる「アシラセ」との出会い、そして今検討しているApple Watchについてもご紹介予定です。
外出をサポートしてくれる道具たちと、どう付き合っているかを、実際の経験とともに綴っていきます。

さいごに

白杖での外出は、私にとってまだまだ「緊張の連続」です。
でも、こうして気づきを重ねながら、自分なりの“安心の輪郭”を描けたらと思っています。

あなたの一歩も、私の一歩も、優しい社会へとつながっていますように。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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